ライオンズファンクラブの会員でした。
といっても、何のことか判らない方も
多いと思いますが。1970年代に
福岡市に太平洋クラブライオンズ
、クラウンライターライオンズという
プロ野球球団がありました。西鉄が
黒い霧事件で球団を放棄した後、
空白の一日事件を経て、西武鉄道が
球団を買収し、所沢に移転するまでの
ほぼ6年間です。
黒い霧事件で球団は弱体化、人気は低迷していましたが、
地元の小学生にとっては、大事な存在でした。先日、当時
のライオンズをノンフィクションの作品「極貧球団」の存在を
知り、早速購入しました。
知っている話も多かったのですが、初めて知ることも多く、
とても面白かったです。特に、シーズンオフに一軍選手が
アルバイトに励む話は知りませんでした。特に永射選手が
シーズンオフに自衛隊に入隊し、生活費に充てていた話は
想像を超えてます。
当時は福岡市ではライオンズファンは少数派。巨人のほうが
断然人気でした。しかし、魅力あふれる選手がたくさんいたん
ですよ。
ON砲に対抗する竹ノ内、東田のタケトンコンビ。堀内、高橋一三
に対抗する東尾、加藤初の両エース。好打攻守の基、大物大リー
ガーのビュフォード。代打の切り札の大田。期待の若手だった真弓
若菜の柳川商業コンビはその後セリーグで活躍しました。
特に、ビュフォードは近くのマンションに住んでいたのでよく見かけ
ました。もう、脚が悪くて、歩き方も不自然でしたが、好プレーを
見せてましました。金田ロッテとの遺恨試合における乱闘でも
大活躍でした。当時の平和台は酒に酔った柄の悪いおじさんが
多くて、ちょっと怖かったですが。
一読をお勧めします。